明日もきっと、朝はパン

嘘は書かないようにしてる

明日は木曜日

空気に湿り気が増えてきて、日差しの強さが気になるようになって、気づいたら27歳になっていた。

お風呂が沸いたらしいのに立ち上がることができないし、届いたダンボールは中身を出して開けっぱなし。

キッチンが汚れているなぁ。帰りが遅いのがわかっていながら作ってしまった春雨がどんどん伸びていく。春雨って伸びるんだ。初めて知ることができた。春雨伸ばしたことある人ってこの世にどのくらいいるのだろう?

お風呂に入って洗い物をして寝て、起きて会社に行って。

朝は全力で仕事をするよ。今日はエネルギーが切れて帰ってきてしまったの。頭が痛くて2回薬を飲んで。それでも人と話すときは笑って話す。たまに疲れて嫌な顔しちゃう。

業務の効率化の本を読みまくっている最近は、デスク周りの改善に躍起になっている。

働けないほどの疲れではないのだけど、疲れているのは確かだなぁ。

最近よく思い出す言葉は、

「いいことだけ いいことだけ 思い出せ」

あれ、ものすごく真理。昔読んだやなせたかしのエッセイがとても好きだった。

忙しいときほど読まなければいけない本はそういう本なのかもしれないね。

あと2分。あと1分。経ったらお風呂に入ってまた日々のループに戻ります。

 

節目の夜

 

現苗字で過ごす最後の夜。 

すごく不思議な感覚。

一生に一回の感覚だなって思うと、なんとなく残しておきたくなった。

 

絶対もっと寂しくなるだろうなと思っていたけれど、意外とそうでもないことに驚いている。

半年間かけてじっくり受け入れてきたからかな。楽しみの方が多いからかな。どんな場合であれ、何かの節目の前は不安な気持ちでいっぱいになる私が、楽しみの方が上回ることがすごいなと率直に思う。

 

一度考えると寂しさでいっぱいになってしまうから考えないようにしているだけかもしれないね。

 

まとわりつく全てが変わっても、私が私であることには変わりない。これからも。

 

これから始まる生活が今度は当たり前になって、それが終わってしまうときにはまた寂しくなって。人生ってそれの繰り返しなんだよね。

当たり前なんて、あるようでないのだから。

 

これからどんな人生になるのか全く想像もつかない。

 

幸せなときもそうでないときも、それを誤魔化さないで一つ一つ消化しながら生きていけたらいいな。

 

 

 

 

最近のこと。

あまりだれも読んでいないだろうブログの更新。ひさしぶり。だれも読んでいないだろうと思いつつ書くことを選んだり表現に気を遣ってしまったりするちょっと不思議な場所。

いつまで続けるのかな。消すつもりはないけれど、やめるという選択肢は最近よく考える。

だれも見ていないのにやめるも何もない気がする。でも書くとすごくすっきりするし、あぁ私の居場所だなって思う。自分で自分の居場所をつくっている感覚。

仕事のこと。入社三年目になった。敢えて自分で言うと、ちゃんとできるようになってきた。要領も覚えたし、こだわりがでてくるようになった。やっているときは全然楽しくないけれど、ちょっと俯瞰して見るとやりがいのある仕事だなと思う。今のところはやめるつもりはない。でもやめるにしても、まともに原稿執筆できるくらいにはしておきたいと考えている。給料がよいわけではないので、お金をもらいながら勉強している、くらいに思うようにしている。周りの人はみんないい人ばかり。慣れてしまったけれど、多分すごく運がよかった。勉強という観点だけではなく、頭がいいんだな、と思う人たちがいっぱいいる。ただ、やめていく人たちは結構いる。知るたびに少し落ち込む。自分がやめたときを想像する。こんなに毎日を捧げていても、やめるとさようなら、今日もひとりやめてしまった。ずっといるだろうと思っていた人だったから、喪失感があった。何か声をかけたかったのに、自分からは何も言えなかった。会社でのつながりって浅いのか深いのかよくわからないな。とはいえ、しばらくはやめるつもりはない。

趣味のこと。最近はなんだかさっぱりだ。映画をあまり見られていない。フィッシュマンズのドキュメンタリーは見た。どこまでも音楽だった。音楽で人は生きることもできるし、死ぬこともできるんだなと思った。でもそれがいいことなのか悪いことなのかは私には分かり得ない。ただ、生きていないと音楽は生み出せない。

タイガー&ドラゴンを見たことをきっかけに落語を聞くようになった。寄席に行ってみたい。落ちの付け方が何かの感覚と同じだなと思ったら、ラーメンズだった。調べたら落研出身らしい。たまに本当によくわからないやつがあって、それがまたいい。

すいか(ドラマ)を見直した。前見ていたときは基子のようになる自分を案じながら見ていたのに、実際今の自分はそうではなかった。ドラマの中でも、どうせ自分の20年後なんて決まっている、と嘆く基子に、じゃああなたはここに住むことを想像してた?と先生が聞くシーンがあって、なるほど確かに、私もあの頃とは全然違っているな、と思った。人生って結構何があるかわからない。(もちろん自分次第で)

自分で選択したことなら、どんなことでも受け入れられる。というのは、マザーウォーターという映画でのセリフだった。この映画も結構よかった。

恋愛のこと。いろいろ書いておきたいという気持ちがあるけれど、もう少し身の上が落ち着いたら書こうと思う。ただ、身の上が落ち着いてしまったらブログを書くこともないような気がする。

明日のこと。在宅勤務。校閲だけなんとか終わらせよう。定時には終わらせたい。

 

書き始めるとドサっと書けてしまう。定期的に書くようにしようと思うのに、なんだかね。

 

レバニラが食べたい

急にレバニラが食べたい。

さっきまであまりお腹が空いていなくて、

夜ごはんを食べそびれてしまった。

自宅の最寄駅の二駅前にして急にレバニラが食べたい。

白いご飯といっしょに。

味が染み込んでクタクタになったニラと、独特の歯触りのレバー。噛むと苦味と旨味が広がって、落ち着いたら白いご飯をひとくち噛み込む。

そんなレバニラが食べたい。

だけど、日高屋もスーパーももうやっていない。

きっと、明日になればそんなにレバニラを食べたくはないだろう。

今なら一番おいしくレバニラを食べてあげられる気がするのだ。

とすると、私にとってもレバニラにとってもウィンウィンではないだろうか。

だけど、お店はもうやっていない。

蔓延防止法がなければ…とか思ったけれど、そもそもこの時間はお店がやっていない。

なんでもかんでもコロナのせいにするのはよくないと思う。

それでもやっぱり、レバニラが食べたい。

私は今、レバニラが食べたいのだ。

コンビニってあんなに豊富なのに、何でレバニラが売っていないのだろう。

保存しにくいのだろうか。

あとレバニラって家で作ることないよな。

このままレバニラの歌でも作ってしまおうか。

多分作らないだろう。

ああレバニラ。

そんな好きな食べ物でもないけれどレバニラ。

 

今ではもう、儚い夢。

日日是好日

 境遇は恵まれていても嫌なことなんていくらでもあるよ。

 日々小さいことですぐ落ち込むしイライラもする。イライラして態度に出ちゃって後悔する。しょうもないことでくよくよする。言われた意味を考えて考えて悪いループにハマる。言ってしまったことの罪悪感で心が重くなる。

 そんなことしょっちゅう。日常茶飯事。SNSにはいいことしか載せないからさ。

 案外日常なんてそんなもん。返信こないくらいでモヤモヤして返信きたらそんなこと忘れちゃって。ミーティングで発言して空回りして。自信のある原稿は赤字だらけ。仕事はやってもやっても終わらない。給料は大して上がらない。 

 本当に案外そんなもんだから安心してほしい。肌荒れも全然治らないし読もうとした本は読まないまま積んである。きれいに見せても賢く見せてもそんなもん。

 毎日楽しい!!なんて思えないけど、楽しい、うれしい、幸せって思う瞬間はちゃんとある。その瞬間のおかげで多分生きている。

 順風満帆でしょう?

梅の季節に

二度目の緊急事態宣言下。あからさまなお出かけはできないので、下町の小さな神社を散策する。

なんとなく思い付きで立ち寄っただけなのに梅が見頃で、思わず写真を撮ってしまう。池の石の上には亀が動かずに生きている。動かずにはいられない人間たちに不思議そうに見つめられながら、それでもじっと動かずにただただ陽の光を吸収していた。

在宅勤務続きの中、久しぶりに家から出たら日差しの暖かさを感じられる気候になっていて、ムズムズする鼻と目を擦らないように気をつける。今年もこの季節がやってきたな。

空の青と、梅の白のコントラストがとてもきれい。目の痒さと引き換えに素敵な景色を見ることができた。

梅の季節が終われば次は桜だな、まだ蕾すらつけていない桜の木を見ながら、4月に同じ場所で違う景色を見ることを楽しみに思う。今年は季節ごとにいろいろな景色を味わえたらいいな。それを楽しく思える人と。

なんて思っていたら、自転車の後ろに子供を乗せた母親が、梅の次に咲く花はなんでしょう?と子供に聞きながら横を通り過ぎて行った。大人にとっては何十回も経験した梅から桜への展開だけど、子供にとってはまだ5回くらいの経験なんだもんな。それを本当に素敵と思えるのはまだまだ先だろうけど。

なんていう私も、まだ本当の花の美しさなんて知らないのかもしれない。

何枚か撮った梅の写真をストーリーに載せるか何度も迷って、やっぱりやめた。ただ流し見されるだけなのがもったいない気がしたから。

 

先週は少々仕事がきつくて落ち込み気味だった。でも休日にこういう楽しみを味わえる生活を送っていることに感謝したい。また一週間が始まる。f:id:sweetangler327:20210221225453j:image

足踏みで進む

気づいたら3ヶ月何も書かず、いつのまにか帰宅してご飯を食べてから飲む緑茶が美味しい季節になっていました。

普通温かい緑茶はガブガブ飲まないと思うけれど、私は温かい緑茶をガブガブ飲みます。すごい勢いで。カテキンって体にいいのかな。まぁ大体の栄養素は体にいいとは思うけど。栄養素だし。それぞれほどよく摂取していきたいですね。

最近は仕事も落ち着いてきて、残り少しの大事な案件が収まればやっと仕事納めって感じ。今年はそこまで忙しなさを感じなかったからよかったな。今は休みたくてしょうがない。

振り返ってみれば本当に変な一年だった。何もかもがぐるりと変わって、ようやく少しずつ戻ってきた。"戻る"の終着点がいったいどこなのかはわからないけれど。

コロナ以外にも私生活の大きな変化があって、なんとなく、心の位置が変わった気がする。

前いた位置にはきっともう戻らないだろうな。

でもどんなにいろいろ変わっても、今これを書いているのは同じ私なんだと思うと、人生って本当にさりげなく変わっていくんだなと思う。1年前2年前に悩んでいたことでは悩まなくなって、新しい悩みが生まれて、それにいっぱいいっぱいになってまた忘れて。新しいことで悩むって、やっぱり自分が進んでいる証拠なんじゃないかな。

今周りにいて当たり前の人たちは、いつから当たり前になったんだろう。翻弄されたり嫌な部分が見えてきたりしても、ふとそんなことを思うと急に愛おしく思えるものだ。

なんて、この一年足踏みしてるように思っていたけれど、確かに進んでいたみたいだ。見える景色はちゃんと変わっていたから。

今年もあと1ヶ月弱。別に何も残さなくてもいいから、今見えている景色をじっくりと見つめて、ひとつひとつ大事にしていけたらいい。