明日もきっと、朝はパン

嘘は書かないようにしてる

新型な生活

今年はいったい何だったんだろうと、不安になることがある。

2020年、多くの人がそんなことを考えているのではないのだろうか。

2020年1月1日0:00、明けましておめでとうと言い合う中で、だれがこんな一年を想像しただろうか。

今年も働いて、合間で遊んで働いて。そのお金でまた遊んだりライブに行ったり旅行に行ったり。そんな日々を当たり前に想像していた。

今年はオリンピックがある。夏には大勢の人が日本にやってきて、自国でやるオリンピックってどんな感じなんだろうと、不思議な感覚だった。だけどそれは、不思議な感覚のまま、8月になってしまった。

今年はいったい何だったんだろう。今年だけならまだいいけれど、こんな生活が来年も続くのだろうか?

今日の感染者は何人、休日は若者で街が溢れかえっている、電車で咳していた人がマスクをしていなかった、俳優の誰々が感染、コロナに感染していたあの人は前日まで出勤していたらしい。こんな話を毎日聞く。この話に出てくる人たちはだれも悪くない。悪いことはしてないのに。こういう話を聞くたびにしんどくなる。だれも悪くないのに。もちろんこういう話をしている人だって悪くない。

ウィルスに感染した人も、広めてしまった人も、別に悪じゃない。悪いのはすべてウィルス。その悪を広めないように、その悪に侵されないように気をつけましょう、そういう話なのに。

感染して療養から復帰した芸能人は、みんな謝罪している。十分に気をつけていましたが、と。謝る必要なんてないよ。

もうみんな、自分のことを考えるので精いっぱい。だれかが感染しても、その人の心配より、その人の行動や症状を分析して、自分に置き換えて考えてしまう。外出するからそうなるんでしょっていう発言は、だから自分は大丈夫だと、自分に言い聞かせるためでもあると思う。

だれも悪くないんだって。本当に。感染するのが人だから、それを悪と勘違いしてしまうのかな。

このままだと、来年もこんな生活が続きそうだ。だからこそ、だれも悪くないのだという意識をいったん再認識できたらいいなと思う。本当に、だれがかかるかなんてわからない。だれかを悪いと思っていると、自分がその悪い人間になったときに、耐えられないと思う。少なくとも私は。

感染して治った人が、謝らない、謝らなくていい、そんな社会であってほしい。