明日もきっと、朝はパン

嘘は書かないようにしてる

レバニラが食べたい

急にレバニラが食べたい。

さっきまであまりお腹が空いていなくて、

夜ごはんを食べそびれてしまった。

自宅の最寄駅の二駅前にして急にレバニラが食べたい。

白いご飯といっしょに。

味が染み込んでクタクタになったニラと、独特の歯触りのレバー。噛むと苦味と旨味が広がって、落ち着いたら白いご飯をひとくち噛み込む。

そんなレバニラが食べたい。

だけど、日高屋もスーパーももうやっていない。

きっと、明日になればそんなにレバニラを食べたくはないだろう。

今なら一番おいしくレバニラを食べてあげられる気がするのだ。

とすると、私にとってもレバニラにとってもウィンウィンではないだろうか。

だけど、お店はもうやっていない。

蔓延防止法がなければ…とか思ったけれど、そもそもこの時間はお店がやっていない。

なんでもかんでもコロナのせいにするのはよくないと思う。

それでもやっぱり、レバニラが食べたい。

私は今、レバニラが食べたいのだ。

コンビニってあんなに豊富なのに、何でレバニラが売っていないのだろう。

保存しにくいのだろうか。

あとレバニラって家で作ることないよな。

このままレバニラの歌でも作ってしまおうか。

多分作らないだろう。

ああレバニラ。

そんな好きな食べ物でもないけれどレバニラ。

 

今ではもう、儚い夢。

日日是好日

 境遇は恵まれていても嫌なことなんていくらでもあるよ。

 日々小さいことですぐ落ち込むしイライラもする。イライラして態度に出ちゃって後悔する。しょうもないことでくよくよする。言われた意味を考えて考えて悪いループにハマる。言ってしまったことの罪悪感で心が重くなる。

 そんなことしょっちゅう。日常茶飯事。SNSにはいいことしか載せないからさ。

 案外日常なんてそんなもん。返信こないくらいでモヤモヤして返信きたらそんなこと忘れちゃって。ミーティングで発言して空回りして。自信のある原稿は赤字だらけ。仕事はやってもやっても終わらない。給料は大して上がらない。 

 本当に案外そんなもんだから安心してほしい。肌荒れも全然治らないし読もうとした本は読まないまま積んである。きれいに見せても賢く見せてもそんなもん。

 毎日楽しい!!なんて思えないけど、楽しい、うれしい、幸せって思う瞬間はちゃんとある。その瞬間のおかげで多分生きている。

 順風満帆でしょう?

梅の季節に

二度目の緊急事態宣言下。あからさまなお出かけはできないので、下町の小さな神社を散策する。

なんとなく思い付きで立ち寄っただけなのに梅が見頃で、思わず写真を撮ってしまう。池の石の上には亀が動かずに生きている。動かずにはいられない人間たちに不思議そうに見つめられながら、それでもじっと動かずにただただ陽の光を吸収していた。

在宅勤務続きの中、久しぶりに家から出たら日差しの暖かさを感じられる気候になっていて、ムズムズする鼻と目を擦らないように気をつける。今年もこの季節がやってきたな。

空の青と、梅の白のコントラストがとてもきれい。目の痒さと引き換えに素敵な景色を見ることができた。

梅の季節が終われば次は桜だな、まだ蕾すらつけていない桜の木を見ながら、4月に同じ場所で違う景色を見ることを楽しみに思う。今年は季節ごとにいろいろな景色を味わえたらいいな。それを楽しく思える人と。

なんて思っていたら、自転車の後ろに子供を乗せた母親が、梅の次に咲く花はなんでしょう?と子供に聞きながら横を通り過ぎて行った。大人にとっては何十回も経験した梅から桜への展開だけど、子供にとってはまだ5回くらいの経験なんだもんな。それを本当に素敵と思えるのはまだまだ先だろうけど。

なんていう私も、まだ本当の花の美しさなんて知らないのかもしれない。

何枚か撮った梅の写真をストーリーに載せるか何度も迷って、やっぱりやめた。ただ流し見されるだけなのがもったいない気がしたから。

 

先週は少々仕事がきつくて落ち込み気味だった。でも休日にこういう楽しみを味わえる生活を送っていることに感謝したい。また一週間が始まる。f:id:sweetangler327:20210221225453j:image

足踏みで進む

気づいたら3ヶ月何も書かず、いつのまにか帰宅してご飯を食べてから飲む緑茶が美味しい季節になっていました。

普通温かい緑茶はガブガブ飲まないと思うけれど、私は温かい緑茶をガブガブ飲みます。すごい勢いで。カテキンって体にいいのかな。まぁ大体の栄養素は体にいいとは思うけど。栄養素だし。それぞれほどよく摂取していきたいですね。

最近は仕事も落ち着いてきて、残り少しの大事な案件が収まればやっと仕事納めって感じ。今年はそこまで忙しなさを感じなかったからよかったな。今は休みたくてしょうがない。

振り返ってみれば本当に変な一年だった。何もかもがぐるりと変わって、ようやく少しずつ戻ってきた。"戻る"の終着点がいったいどこなのかはわからないけれど。

コロナ以外にも私生活の大きな変化があって、なんとなく、心の位置が変わった気がする。

前いた位置にはきっともう戻らないだろうな。

でもどんなにいろいろ変わっても、今これを書いているのは同じ私なんだと思うと、人生って本当にさりげなく変わっていくんだなと思う。1年前2年前に悩んでいたことでは悩まなくなって、新しい悩みが生まれて、それにいっぱいいっぱいになってまた忘れて。新しいことで悩むって、やっぱり自分が進んでいる証拠なんじゃないかな。

今周りにいて当たり前の人たちは、いつから当たり前になったんだろう。翻弄されたり嫌な部分が見えてきたりしても、ふとそんなことを思うと急に愛おしく思えるものだ。

なんて、この一年足踏みしてるように思っていたけれど、確かに進んでいたみたいだ。見える景色はちゃんと変わっていたから。

今年もあと1ヶ月弱。別に何も残さなくてもいいから、今見えている景色をじっくりと見つめて、ひとつひとつ大事にしていけたらいい。

 

嘔吐恐怖症について書く

嘔吐がこわい。

どれくらいこわいかというと、今自分で打った文字すら不快なくらい。

これでも、昔に比べたらだいぶマシにはなった。

きっかけは、小学校低学年のときになった胃腸炎の苦しさが原因。

それ以来、自他関係なく吐くという行為がこわいので、15年以上どんなに体調が悪くても吐いたことがない。

一番酷かったときは、小4、5くらいかな?食べるということは、吐くという可能性が生まれるということでもあるから、という理由でご飯が食べられなくなった。これを食べて吐いたらどんなふうに出てくるんだろう?とか考えてしまう。脂っこいものはもってのほか、さっぱりしたものしか口にできなかったし、唾液すら不快に思っていた時期もある。

これらの時期がどのくらい続いていたのかは覚えていないけれど、親には全く言えなかった。吐くのがこわくて食べられないなんて、わかってもらえないし、理由にならないだろうと思っていた。

幸いなことにその後、間近で嘔吐に出くわす、ということはあまりなかったので少しずつマシになっていった。今はご飯は普通に食べられるし、金曜日の電車はこわいけれど、乗れないこともない。乗るときに入念に周囲は確認する。

ただ、今でも誰かがトイレで吐いている音さえ無理だし、そのトイレはしばらく使えない。例えば家族が家のトイレで吐いていたとしたら、イヤホンをして大音量で音楽を聴きながら耳を塞いでさらに自分の声でかき消す、くらいのことをするし、道にソレが落ちていたら可能な限り一番遠いところを歩いて、ソレがある方の目を瞑って歩く(できれば走る)。

具合が悪いのはまだしも、吐くまで飲むような人とは絶対に結婚できないと思う。悪阻も怖くて仕方がない。

それはまあ今のところ関係ないとして、問題は映画である。

映画ってなぜだか嘔吐シーンがやたらと多い。しかも、タイトルだけでは絶対に見分けることができない。あれ本当にどうにかならないのかな。血とか性行為とかはR指定でなんとなく判断つくけれど、、、。自分の好きな映画にそういうシーンが多いというのもある。たまに友だちがあの映画は見ない方がいいよとか言ってくれるのは、大変助かる。

とはいえ、病気ではなく恐怖症だから、克服できないこともないらしい。そのためにはやっぱり少し慣れることが大事らしいのだけど、最近大丈夫かも!とか思って町で遭遇すると泣きたい気分になるし脳裏から離れないしで慣れようがない。今後結婚したり、子どもができたりしたら嫌でも向き合っていかなければならない問題ではあるからなんとか克服する方法はないかなあと思います。

いろんな恐怖症があると思いますが、みんなどんな風に克服していっているのだろうか…

新型な生活

今年はいったい何だったんだろうと、不安になることがある。

2020年、多くの人がそんなことを考えているのではないのだろうか。

2020年1月1日0:00、明けましておめでとうと言い合う中で、だれがこんな一年を想像しただろうか。

今年も働いて、合間で遊んで働いて。そのお金でまた遊んだりライブに行ったり旅行に行ったり。そんな日々を当たり前に想像していた。

今年はオリンピックがある。夏には大勢の人が日本にやってきて、自国でやるオリンピックってどんな感じなんだろうと、不思議な感覚だった。だけどそれは、不思議な感覚のまま、8月になってしまった。

今年はいったい何だったんだろう。今年だけならまだいいけれど、こんな生活が来年も続くのだろうか?

今日の感染者は何人、休日は若者で街が溢れかえっている、電車で咳していた人がマスクをしていなかった、俳優の誰々が感染、コロナに感染していたあの人は前日まで出勤していたらしい。こんな話を毎日聞く。この話に出てくる人たちはだれも悪くない。悪いことはしてないのに。こういう話を聞くたびにしんどくなる。だれも悪くないのに。もちろんこういう話をしている人だって悪くない。

ウィルスに感染した人も、広めてしまった人も、別に悪じゃない。悪いのはすべてウィルス。その悪を広めないように、その悪に侵されないように気をつけましょう、そういう話なのに。

感染して療養から復帰した芸能人は、みんな謝罪している。十分に気をつけていましたが、と。謝る必要なんてないよ。

もうみんな、自分のことを考えるので精いっぱい。だれかが感染しても、その人の心配より、その人の行動や症状を分析して、自分に置き換えて考えてしまう。外出するからそうなるんでしょっていう発言は、だから自分は大丈夫だと、自分に言い聞かせるためでもあると思う。

だれも悪くないんだって。本当に。感染するのが人だから、それを悪と勘違いしてしまうのかな。

このままだと、来年もこんな生活が続きそうだ。だからこそ、だれも悪くないのだという意識をいったん再認識できたらいいなと思う。本当に、だれがかかるかなんてわからない。だれかを悪いと思っていると、自分がその悪い人間になったときに、耐えられないと思う。少なくとも私は。

感染して治った人が、謝らない、謝らなくていい、そんな社会であってほしい。

 

 

かっこいい山下さん

今週はずっと楽しみにしていたことがあって。

そうです。みんな大好き山下達郎の配信ライブがあったのです。

このために私は週2回の在宅勤務日を木曜日に設定したのですが、週明け早々体調不良になり、

大事をとって今週まるっと在宅勤務になりました。

わたしはそういうところがあります。

 

まあそれはともかくとして、歴史的な瞬間を目にすることができたのでうれしい限りでした。

 

初めて歌っている山下達郎を見ましたが、

見た目は普通のおじさん(失礼)なのに、

声を発すると、いつも聴いている音源通りのきれいな声が聞こえてきて、とても不思議な感覚になりました。

 

何がびっくりってそこなんだよね。

演奏もそうだし、声もブレていない。

本当にいつも聴いている音が、その場で出されている感じ。

配信ライブ結構見ていますが、そこに驚いたのは初めてでした。

 

ご本人もそうだけど、やっぱり周りの方々の演奏もとてつもなくよい。

鍵盤もすばらしかったし、ベースもずっと気持ちよかった。

あんなすてきなメンバーに出会って、こうやって最高の音楽を作り上げていくのって、どこまでも奇跡だけど、ちゃんと起こりうる奇跡なんだなと思いました。

 

ハイティーン・ブキ、めちゃくちゃ痺れたな。

これがこの曲の正解なんだなって思ってしまうくらい。

硝子の少年が、Jポップの中でトップ3に入るくらい好きなんですが、あんなにキンキの声で聴いてきたのに山下達郎が歌うと、急に原曲感が出る。

この人ジャニーズの歴史にも入り込んでいるのかよって。かっこよさの後ろでもっとかっこいい仕事をされている。

 

あんなにレジェンドなのにMCは敬語でギターを弾く指にはずっと結婚指輪が光っていて。すてきかよ。

竹内まりやが、山下達郎は日本の宝だから彼のご飯を作るだけでも立派な創作活動なんだと言っていたという話を思い出した。

 

テレビに出演しないとか、アリーナクラスのライブをしないとか、勝手にお堅いイメージを持っていましたが、本当はとても丁寧で愛のある方なんだろうなあと思いました。

ライブのいいところって、そういう人間性を知ることができることでもあるんじゃないかな。

 

なんて、山下達郎について熱く語る24歳OLです。

 

山下達郎はサブスク解禁していないので、聞くとしたらCDを聞くしかありません。

簡単に聞けないところがまたいいな。