明日もきっと、朝はパン

嘘は書かないようにしてる

寝ている間も

こめかみから右に五センチ上に二ミリのところだよ、その記憶は。だからそこから一本針を通してね、反対に抜けるとキレイにその記憶だけ取れるんだ。

 

みたいなね、みたいな感じで"忘れる"ことが出来るなら、君もわたしも生きるのがもう少し楽だったよね。

 

忘れるって、失うことではないんだね。恥ずかしい出来事も、昔の自分も恋人も、叶わないのにまだ好きなあの人も、完全に記憶から消し去ることはできない。

 

できるとしたら、その記憶を少しずつ少しずつ小さくすることだけだ。

 

だけどそれも、思いもよらぬことでバチッと全部思い出したりして、すぐに鮮明になったりするから厄介だ。

 

 

完全に忘れることができるのは、何十年後か先、忘れたことも忘れてしまうようになったとき。

 

良い記憶もね。

 

忘れたいのに忘れられないって、人間だれしも悩むことなのに、それでも進化していかないのは、やっぱり必然性があるからなのか。

 

 

 

 

みんな日々、何かに悩んでいるのかな。

 

常に何かふとした時に考えてしまう、基準の思考元があったりして、一人でいるときはそこに戻ってきてしまう、みたいなことがあるのだろうか。

 

私は今二つほどそういう基準の思考元があって、事あるごとにそのことばかり考えてしまう。

 

何も考えていない時間って多分ないな。

 

どちらかというとネガティヴマシーンなので、それを考えていて楽しいってことはあまりないし、うわあああ!って叫びたくなることもあるけど、猿とかではないのでそこらへんは大人しいです。

 

 

 

忘れたいこと、忘れられたら楽なこと、いろいろとあるけど、全てを忘れてしまうのはもっと辛い。

 

 

忘れられないモヤモヤを物質化してできた芸術なんかもあるだろうし、人間がネガティヴな記憶を簡単に捨てることができたら、文化はここまで発展しなかったのかもね。失恋ソングなんて特に。

 

 

なんてことを書くつもりはさらさらなかったんだけど、なんとなく朝起きたら冒頭の文章が思い浮かんで、二度寝して起きたらそこだけメモってあったので続きを書いてみました。

 

 

 

 

 

いや、こめかみに針通したら痛いやん。

 

 

 

 

夜明け

何回キリンジのエイリアンズを聴いても明けなかった夜が、今ではこんなにも一瞬で明けるようになった。きっと私のモラトリアムも、これでもう、夜明けを迎えてしまったということなんだろう。

夜が短い。社会人になって一番変わったことはそこな気がする。他のことは思ったよりも変わらなかった。むしろ今までの四年間の生活がまるで嘘だったかのようだ。

それでも本当に映画は観なくなった。大学生後半は、働いてもいないし学校にも行っていない、世間からちょっと離れた状況で、その中でちょっと浮いた人々の映画を観ていたからしっくりきていたけど、今ではすっかり毎日電車で輸送されて、休日しか遊べない一般人になってしまったからそういう映画への共感が薄れてしまった気がする。平日の昼間の景色が、今はとても愛おしい。

あっという間の毎日で、気づいたら週末になっている。だけど一週間があっという間に感じたところでまた次の一週間が待っているだけで、長期休みに近づくわけでもなく、進級するわけでもなく、なんだかどこに向かっているんだかよく分からない。

楽しくないとか辛いとか、人生それだけで日々を判断できないんだなぁと痛感している。

定年まで働くならあと約40年。もし結婚したり出産したら、それも中断して、自由には働けなくなって、それでもやっぱり自分の人生だからちゃんと働いていたくて、でもそれだけの人生はイヤで。

前回計画を立てすぎないでと書いたのに、やっぱりいろいろ考えてしまうデイズ。いつ死ぬかも分からないのに。

 

そして私は明日また一つ歳を取る。まだまだ心はモラトリアムなのに、体は毎日社会に出ている。

22歳はなんだかとっても長かった。一年後に働けているかも分からない状態で、あの頃はあの頃でモヤモヤしてた。もうずっとモヤモヤしてる人生なのかな。それはそれで悪くないのかもな。

答えが出てしまう方が、私にはよっぽど怖い。一生モラトリアムなのもごめんだけど、23歳、やっぱりもう少しこのままいさせてください。

四年前の私へ

やあこんにちは。

私です。四年後の。22歳になりました。

こちらは、大学の卒業式を迎えました。

 

何が言いたいかというと、受験おつかれさまってことです。あれほど辛いことは今までなかったよね。モチベーションがなかったことも知ってるよ。でもね、四年後にこうしてあなたに一筆描きたくなるような、そんな大学生活を送れたことを、書くうちに目頭が熱くなりそうなことを、詳細には言えなくても伝えたくて、感謝と共に言葉を送ります。

 

『誰よりも神経質で心配性なあなたが今、どんな気持ちでこれからの新しい生活を送ろうとしているか、私は今、手に取るように分かります。なぜなら私も今、同じ気持ちだから。

 

この四年間がどんなものだったかは言いません。だってそんなの、私がつまらないからね。

 

楽しいかどうかは、これからあなたが知ること。伝える必要はないよね。

 

ただひとつ伝えておきたいのは、頭の中で計画を立てすぎないで、ということです。

 

なぜならそれは、本当に意味がないから。

あなたが勝手に頭の中で描いてる四年間は、おそらく同じようには実現しないと思います。

 

これまでの人生だって、想像通りに行ったことはなかったでしょう?

 

それでいいんです。四年後の私はそれに気づいているし、私は多分、あなたが思う私にはなっていないけど、今のあなたと今のわたし、交わるように変わっていって、頭の中に描いていた私はもう誰でもなくなっています。ここにいるのが私であり、そしてあなたなのです。

 

これから四年間、どんな日々になるんだろう。

 

私にはないこれからを今あなたは持っていて、あなたにはないこれからを、私は持っています。

 

マイナス思考で生まれた不安たちも、こういう形でプラスに返ってくるんだよ。不安はいつか、何かしらの形になるんだよ。

 

そんなことを伝えたくてこの文章を書きました。

 

そしてこれは途中から、もうすぐ27歳になる私から、22歳の私への手紙にもなっています。

 

 

 

 

四月からの新生活。考えすぎずに、計画を立て過ぎずに、がんばるんだよ。今のわたしへ。』

 

腹八分目

お腹が空いてしょうがないのは、晩御飯を食べていないからだ。

 

 

満たされていないと思うのは、お腹が空いてしょうがないからだ。

 

 

 

だけどきっと、明日の朝にお腹を満たしても満たされない何かがあって、

 

それは多分、晩御飯のせいではなくて。

 

でも今は、満たされないことを、空腹のせいだとしたいのです。

 

 

 

お腹を満たしたら、知ってしまうから。

腹八分目が、いいのかもね。

 

 

アタマもオナカもぐるぐるぐるぐる。

 

 

 

こんな夜にこんなことを書き始めてしまったのは、

 

一体何のせいなのでしょう。

 

 

 

 

隣のわたし

  人と付き合うというのは自分と付き合うことなんだと、最近つくづく実感する。そして、自分と付き合うのが、本当は一番たいへんだ。

 

  くるっとこちらを向いた友達の顔がもし自分だったら、なんて思うと恐ろしくてゾッとする。でもそれは紛れもなく人と付き合う私であって、そんな自分で、私は人と付き合っている。

 

 

「ほんとは誰でも自分とつきあうのは大変なんじゃないか。ただ大変なのを自分じゃなく、他人のせいにしてるだけじゃないか」

 

 

  谷川俊太郎さんのこの言葉に、これまでのいろんな人間関係を思い出して、そして、納得した。

 

  なんだか上手く人と関われないとき、そんな自分が嫌になったとき、それは人と関わる自分を客観的にみるチャンスなのかもしれない。

 

 

  私も人と付き合うことで自分を知って、等身大の自分を認められるようになりたいと思う。

 

 

くるっとこちらを向いた友達の顔が自分でも、それを好きになれるように、私も私と会話しよう。

 

 

何か明けた?

アナタが読むべきブログはこちらだと思います。↓

http://www.2band.tokyo/diary

 

SNS向いてないからブログ一本にしましたっていうのとても潔くてカッコよくて、羨ましい。

 

 

 

 

そんなこんな(?)で年を越しましたね。

 

月を跨いだだけで"終わり感"から一気に始まりの喧騒になっていくこの感じは、本当に不思議。

 

 

年末はバタバタで、買っておいた蕎麦を食べるヒマもなく、元旦に食べました。年越し(た)蕎麦。

 

 

そのせいで餅やおせちを食べる日も1日ずつズレ込みました。

 

 

おまけに元旦もバイトで、年末年始感はゼロ。

 

 

年賀状も一枚も書いてません。

初詣もまだ行ってないや。

 

 

故に干支もあやふや、かろうじて今が1月であるということは知っています。

 

 

ようやく今年の軌道に乗ろうとしていた頃合いに、インフルエンザになりました。

 

 

実に四年ぶり?

 

 

6年続けてインフル発症した過去があるため、かなりマスターしてます。慣れたもんです。

 

 

熱がで始めた時点で速やかに病院、早めに薬を飲む、着替えて顔を洗って万全のスキンケア、加湿器は満杯に、枕元には白湯と常温ポカリをセット。

 

 

これが、私のルーティーン。

 

 

まだなってない方は、ぜひ参考にしてください。

 

 

 

 

 

 

 

てな感じで、半月くらい過ごしてました。

 

やっとこさ落ち着いて、今ようやく年明けたんだ!!って気分です。

 

 

 

今の自分の気分にすごく合っている言葉を見つけたので、言わせてください。

 

 

 

 

明けまして、おめでとうございます。

 

 

 

 

 

 

f:id:sweetangler327:20190117025638j:image

 

 

(そろそろ自分にとってのブログの立ち位置定めたいな)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな私も気が早い

TrickでもTreatでもないハロウィンを終えて、すっかり街角にはクリスマスツリー。きっと君は来ない。

 

 

なんていうのにも少し慣れた頃合いでしょうか。いかがお過ごしですか。

 

 

11月になった途端に現れた巨大クリスマスツリー。もうかなり見慣れたけれど、クリスマスまではまだ1ヶ月あるらしい。

 

 

私は二ヶ月間、窓から見切れたクリスマスツリーを見ながら働くのです。

 

 

日本では、1年の6分の1をクリスマスと呼ぶのでしょうか。

 

 

あわてんぼうのサンタクロースもびっくりだよ。

 

 

とは言え、クリスマス自体は結構好きです。

 

 

これは、ちゃんと幼い時に楽しいクリスマスを過ごしてきたからだと思います。

 

 

毎年ツリーを飾ってプレゼントをお願いして、朝起きると枕元に小包が置いてあったし、

 

 

友だちみんなで集まってジャンクなご飯囲んでプレゼント交換もしたし。

 

 

それなりに、あのクリスマス特有のワクワクを体感してきたんですね。

 

 

だから潜在的にクリスマスを楽しいと感じるようにできてるみたい。

 

 

と同時に懐かしさも想起できるようになっていて、なんていうか、クリスマスがあって人がいて、いまだにそういうものに温かみを感じる。

 

 

子ども時代にどれだけクリスマスが楽しかったかで、その後のクリスマスの感じ方も変わっていくんじゃないかな。

 

 

もちろん、一年間いい子にしてたらの話だけどね。

 

 

 

 

それから、山下達郎の"クリスマス・イブ"が本当に好きで。

 

 

この時期になるとやっと相応の雰囲気で聴けるようになります。

 

 

真夏に聴くのもまたいいんだけど◎

 

 

やっぱり冬のしんとした感じで聴くのが一番◎

 

 

大好きな楽曲です◎

 

 

イントロからクリスマスのキラキラと、その街のきらめきの分だけ強調された切なさが伝わってくるじゃないですか??

 

 

あそこで毎回溜め息でますよね。毎回は盛ったけど。

 

 

それから、あの和洋折衷な感じがたまりません。

 

 

浮かんでくる景色は完全に洋風(を模した)で王道なクリスマス。

 

 

だけど待つのは好きな人。待ち人来ず。しかもその中で寂しさを感じてる辺りが非常に日本人ぽい。

 

 

キラキラしていて、寂しい。

 

キラキラしているのに、自分は寂しい。

 

 

静かで、聖なる夜。

 

 

それを耳だけで感じさせるんだよ。

リスペクトオブリスペクトだよ。山T流石だよ。

 

 

 

 

なんて、そんな季節が今年もやってきたのですね。

 

 

 

でもやっぱりクリスマスはあの特別感がいいので、12月に入ってからキラキラしてほしいな。

 

 

 

やっぱり冬がいちばん。

 

 

 

いろんな人が、心深く秘めた想いを叶えられるように祈ってます。

 

 

 

そんな、クリスマス・イブ・イブ・イブ・イブ・イブ・イブ・イブ・イブ・イブ・イブ・イブ・イブ…です。