明日もきっと、朝はパン

嘘は書かないようにしてる

劇場

終わらないという残酷さ。

 

先日、又吉直樹原作の「劇場」を観に行きました(映画)。

原作は2回読んで2回ともボロボロ泣きました。

 

本当はもっと前に公開されるはずだったけれど、

憎きウイルスのせいで延期に。

 

ようやく公開されることになり、

観に行く日も決めたところでまた感染者数が増えてきたので、

また行けないのでは?と思ってちょっと泣きました。

(無事に行けました)

 

そして映画を観て、また泣きました。

結末はわかっているのに、わかっているから余計泣いて、

終わった後も、何度も何度も反芻してしまう。

 

何がこんなに心に残り、悲しみを誘うのか?

それはおそらく、”続いていくこと”なのではないか。

 

大抵の泣ける映画は、「死」に泣くけれど、

本映画(原作も)は、だれかが死ぬとかそういう話ではない。

むしろ、”別れ”の先でずっと続いていく。

 

精神と精神が別の場所で生き続けていくし、

生き続けていかなければならない。

 

”終わること”もつらいけれど、

”続いていくこと”もつらい。

 

この悲しみは、ほかの作品ではなかなか味わえないと思いました。

 

とても影響されやすい私は、

帰りに又吉直樹の「東京百景」を買って帰りました。

 

映画を引きずった気持ちのまま読んだら、

笑ってしまうところがたくさんあって、

泣いたり笑ったり忙しい毎日です。

 

映画「劇場」、行定勲監督の暗い感じととても合っていたし、

音楽もよかったので、アマゾンプライムではなくぜひ”劇場”で観てほしいですね。

 

次は何の本を読もうかな。

 

 

 

 

 

追記:「何度も反芻する」は重複表現な感じがしますが、リズム的にはすっきりするのでそのままにします…