明日もきっと、朝はパン

嘘は書かないようにしてる

リモートデイズ

なんちゃらウィルス、もう名前も聞きたくないな。ブルースはウィリスだからいいよ。

週3回の自宅勤務。テレワークリモートワーク、メリハリなくてなんだかなぁ。

がちゃがちゃなピンクの部屋に仕事道具を持ち込んで仕事をしている。時々泣いて笑う子供の声が聞こえて新鮮。いつも見ているのは東京タワーなのにな。

あ、平日の昼だ。久しぶりに平和な平日の昼だ。ヒルナンデスもテレワークらしい。

お昼ごはんは何にしようかな。家で食べるお昼ごはんは、大学4年の日々を思い出す。あれから2年が経とうとしていて、焦燥して懐古、今の生活にも随分と慣れたもんだ。それは少し嬉しいな。

午後は思ったよりも集中できて、でも少し眠たくなって、また集中して、今日もまた仕事が終わらなかった。

残業はするなと言われている。在宅だから残業したってバレないのだけど、18時になるとパッタリとやる気を失う。それはそれでいい。

明日もここで働く。睡眠時間はいつもより取れるので嬉しい。化粧もしなくて済むけど、毎日完璧に準備をして家を出るあの感じは嫌いじゃないので、それはどっちでもいい。

明日もここで働く。明日のお昼は何を食べようか?あのパン屋はやっているだろうか?

月曜日は会社に行く予定。緊急事態だけど、人に会えるのは嬉しい。夏休み明けの学校かよ。

今日はまだ一日目。誰も想像しなかった日々だけど、少しずつ順応していくような気がする。しばらく経って、懐かしむことができたとき、正解だったと気付けるようにがんばろう。

おやすみまた明日。最近気づいたのだけど、乱雑な机の写真を撮ることが好きです。f:id:sweetangler327:20200410010702j:image

風邪

風邪をひいて会社を休んだ。

風邪で熱出るなんて10年ぶりだな。

この一年、仕事、仕事、仕事、で頭がいっぱいで、今日休んだら明日辛いしなぁという思考に陥ってしまっていたから、思い切って休んだ自分にちょっとびっくりしている。

最近は、常に何かに追われているのに、何も手にできていないもどかしさに苛まれていた。

仕事をしていると家に帰りたいと思うし、かといって家にいると気分が落ち込む。友達会うのは楽しいけど、会うまでが億劫だったり。

きっと人間みんなそんなもので、そういう状況をいちいち言語化したり、感情に当てはめたりしないのだろうけど。やっぱり無我夢中で目の前のことをやり続けるなんて私には無理だ。

何かを放り出してみても、時間が経てば自分の元に返ってくる。それが怖くてずっと握りしめている感覚。

放り出して、戻ってくる間に何か少し変わるのだろうか。変わったとしても、また手元に返ってきたら戻ってしまうのではないか。

社会人って本当に不安定だな。

どんなに娯楽が楽しくても、そればっかりはしていられない。賢く生きたいけど、賢くないから、やっぱり組織の中で上手くやっていくしかないのだろうな。

決して仕事が楽しくないとか、そういうことではないのだけれど。仕事に精を出しすぎるのはあまりにも怖い。そんな気持ちで働くのもよくないだろうし。

なんて、自分のことばかり考えていられる時期も長い人生で見たら幸せなのかもしれない。

みんなは毎日どんなこと考えて生きているの?

変化

明日はどうやら寒いらしく、今夜も底冷え。駅から徒歩5分の家まで、わざわざ鞄からマフラーを出した。

今年は暖冬?雪を全然見ていないな。寒いのは苦手だけど、暖冬は物足りないというか、振り切らない感じがあまり好きではない。

最近はとくに代わり映えのない日々を送っている。ただ、ついに家探しを始めた。あと2ヶ月半後には24歳になる。節目を自分で作っていかないと、社会人はなにも変わっていかないのだとこの一年でしみじみと感じた。

大人は正しいと思っていたけど、そんなわけでもないらしい。ただみんな心に自分の正しいを持っているだけなんだと気づいた。歳を取るほどそれが変わらなくなっていく。大人も結構間違っている。正しい顔をしながら。

好きな大人が周りに何人かいる。これは、学生の頃にはなかったことかもしれない。今までは大人といったら先生だった。だから正しくて、従うのが当たり前だった。

だけど、今周りにいる大人たちは、なんだかみんなちょっとずつ間違っている。それでもみんな生きていて、その兼ね合いが、なんとなく好きだ。いろいろあるけど。

雪のないまま2月が終わるのだろうか。

いっそのこと、北海道までひとっ飛びして冬を満喫したい。4月からはまた少し環境が変わるけれど、案外自然に順応していくのだろう。

そんなふうに、変わっても代わり映えがないと言いながら、少しずつ変わっていくのだと思う。まるで季節と同じだな。

全然短文じゃないじゃん

あけましておめでとうございます。

今年は月に1回はブログを書くことが目標です。

昨年はあまり書けませんでしたが、それでも定期的に見てくれている人がいたので、ならば私もがんばって書きたいという所存です。

決してたくさんの人に読んでもらいたいというわけではないんです。

ただ私も書くことが好きだし、それを誰かに読んでもらいたいという気持ちもある。だけど上手く書けていないものを公開するのも嫌なんです。

現に今ここまで書いて、全部消したいという衝動に駆られています。今日の文章は好きではありません。でも今日は我慢して書きます。そして更新します。

書きたい、読んでもらいたい、でもちょっと面倒くさい。それでも1人でも読んでくれている人がいればそこに意味が生まれます。

だから、読んでくれている人がいる限りはやめずに書きたいのです。

いつも一貫性のないブログでごめんなさい。

日記は今、なるべく毎日書いてます。

しかし、となると、こっちで書くことが枯渇していきます。

日記とブログの違いは、人に見せるかどうかでしょう。

人の考えていることが考えている通りに書かれているものは、他者が読んでも面白いと思います。それをこっそり読むときには特に。

知らない人の内面を覗くように読んでもらえるようなブログにしたいです。

ただわたしは恋愛のことを書くことが死ぬほど苦手なので、あまり書けないと思います。書きたいことはいろいろありますが。

あと、最近短文を書くことが好きなので、短文をたくさん書きたいです。

なんだか短い方が言いたいことをきちんと書けるみたいです。不思議です。

 

そんなこんなで2020年、どうぞよろしくお願いいたします。

タイトルなし

佐藤伸治がいないことがつらい。

 

きっと彼は何かを超えてしまったんだろうなぁ。

私が100年生きたとしても到達し得ないような何かを。

だけど今もここにいたらきっと、今以上に切なく聴くことはできなかった。

もっとよい音楽が聴けたのかも、とは思うけれど。もっとよい音楽ってなんだろうとも思う。

"惜しい"とは思わない。ただただ愛おしくてたまらない。

彼は到達したどこかで、今もふわふわと生きているのだろう。

雨と晴れ間

先週末はずっと涙が止まらなかったんだけど、

今週はいろんな人と話すことが出来て、週末人にも会えて、少し立ち直った。

 

今月はなんだかずっとしんどくて、外に出たくても雨ばかりで、心を沼の底に落としてしまったみたいだった。それを取りに行くのも面倒で、頑張ろうとするのもしんどかった。でも、涙が出るだけマシなんだと思う。

 

自分の機嫌を取ろうといろいろとトライした。映画を観た。映画をきちんと観れるからまだ大丈夫だった。人と話すのは楽しかった。それが終わるのは本当にしんどかった。

 

気づいたらハロウィンが近づいていた。

父親が暑いとボヤいてるのを聞いて、ぼんやりともう夏なんだな、なんて思ってしまうくらい季節感を忘れていた。

 

借りたDVDがなかなか見終わらない。時間はあるし、観たい作品なのに、あまり観る気にならない。かといって他にやることもなくて、それで時間が過ぎていくのもしんどかった。

 

もう11月か、時間過ぎるの早い、、とか思ってしんどかったけど、別にそれはしんどくなくない??と思った。

 

同期に悩みを打ち明けたら、気にかけてくれるようになって、それだけで救われた。アルバイトの女の子に頑張って話しかけてみたら楽しくてまた救われた。先輩がお昼に誘ってくれたのも素直に嬉しいと思えた。

 

映画館で知らない人とたくさん話して、また会えたらいいなって思った。その日観た映画も偶然そんな内容だった。

 

いつもの友達はいつも通りで、ゲラゲラ笑った。本当に今日もくだらなかった。

 

しんどい分、人に会いたいって素直に思えるし伝えられるし、今週はいろいろな人に救われた。ありがとうって思った。

 

最近はそんな日々だった。もう少し頑張ってみようかな。

 

 

 

 

 

今なにしてる?を呟く人はいない

ツイッターで超くだらないこと呟く人のツイートみたり好きなものの情報集めたり、時々自分で思いついたくだらないけど誰か笑ってくれそうな、または自分で笑うようなツイートしたり、インスタで犬とかラッコとかペンギンの動画見たりしてニヤニヤするのがすごく好きだったんだけど。

 

SNSで好きなものだけを見るのって不可能じゃないですか?

 

広めてなんぼじゃないですか、アレって。

 

全然知らない人が全然知らない人と言い合ったり、正論だ!わー!ってなったりしてるのに嫌気がさしました。

 

 

とりあえずSNS消したけど、情報シャットダウンするのってすごく怖いわ。すぐまたインストールしそう。

 

昔は好きなものに対するほかの人の意見なんて触れる機会がなかったから、自分が良いと思うかどうかが全てだったのに、

 

今は自分が好きなものを嫌いな人の意見とか、世間はどう反応しているんだろうとか、そういうのがどうしたって目に入るし、気になるし、全てを世間的な位置付けで見てしまうようになった。

 

要は、一対一で作品に向き合っていないかんじ。

 

自分が好きなら見たり聞いたりすれば良いし、好きじゃないなら触れなければ良い話なのに、そこにいちいち共感を求めたりする。

 

 

昔は好きなものを共感できる人が現実世界にしかいなくて、それはそれで辛いこともあったけれど、その分真っ直ぐに作品と向き合っていた気がするよ。

 

あの頃に戻りたいなぁ。。。