月が綺麗だったので。
「我君を愛すなんて、日本人は言わない。
月が綺麗ですね、とでも訳しておきなさい」
こんばんは。
今日は月が綺麗ですね。
月が綺麗だな〜と思うと、必ず夏目漱石のあの逸話が浮かんでしまいます。
"I love you"を「月が綺麗ですね」と訳したという話です。
この逸話、すごく好きだし日本語っていいなと思います。
シャイな日本人ならではな感じがね。
イタリア人に言っても、ハア??って思われそうな。
でもよくよく考えると、急に月が綺麗ですねって言われても、ねー!で終わりそうじゃないですか?この逸話がなかったら。
夢もロマンもないですか?
漱石は本気でそう思って言ったのかな。
私はこれ、片想いにのみ適用される気がします。
だってさ、
相手がある程度好意があることに気づいていて、そこで月が綺麗だね、と言ったら、
ウフフってなってイチャイチャして終わりだって。まじで。
もう月が綺麗でもなんでも関係ないんでしょう?
だけど片想いだったら、まず夜に一緒に月を見るというシチュエーションにすごく意味があって、
しかもたまたまそれが綺麗な月の夜で。
でも簡単に好きとは言えず、言葉を探してやっと発する、月が綺麗だね。
そしてこの言葉のミソは、
「そうですね」
としか答えられないところにある。
イエスもノーも求めないし、求められない告白の言葉。
言われた方も、もし好きだとしても「そうですね」としか言えないんだよ??
だってあくまで綺麗なのは月なのだから。
その二人の心内がなんとも言えない情緒なんです。
しかも好きじゃなければただの形容詞にしか聞こえないっていうね。
恋愛って人間の七不思議の一つですね、きっと。複雑すぎる。
恋愛という過程がなかったらみんな生殖行為ばっかりしてそこらじゅう人だらけ。食糧危機ですよ。
女性が愛のないセックスをしたがらないのは、一人では子どもは育てられないっていう感覚が備わっているからな気がします。本能的にね。
というところから見てもやはり恋愛はかなり重要な人間の要素なんでしょう。
だから愛を伝える言葉だって、ただの言葉ではないと思います。
やっぱりすごいなぁ、夏目漱石。お札になる人は違うよなぁ。
離れていてもすぐに言葉を伝えられる時代で、
"今"しか伝えられない言葉は、もうないのかもしれないけど。